天橋立十日間円坐に参加をして

去年の12月「天橋立十日間円坐」に参加をしてきました.
これをお読みの中に、ご存じの方や参加を検討された方も
いらっしゃるかと思います.

京都の日本海側の海沿いにある「丹後 海と星の見える丘公園」内の
施設にて、はたしてそれは苦行なのか修行なのか、
十日間ひたすら円坐をし続けるという合宿です.

守人を務められたくにちゃん(橋本久仁彦さん)によれば、
おそらく日本で最も長いオープン参加の非構成的グループであり、
世界でも一番かもしれないとのことでした.

年末年始を挟んだせいなのか、終わってからまだ1ヶ月も経って
いないのに、すでに遠い昔のことのようにも思えます.

いろいろなことが自分にも場にも起こり、
その中にはここには書けないことも多いけれど、
ひとつあらためて確認できたことがあります.

それは円坐のような非構成の場に長時間浸ると、
自分というものが次第に、
隠しようもなくあらわになっていくということです.

人と人との関わり以外の余計なものが削ぎ落とされた場では、
自分の他者への関わり方、場への居方などにおいて、
その根底にあるものが、潮の満ち引きで水位が下がって
岩肌が露出していくかのように、あらわになっていくように思えます.

そこに怖さを感じる.

日常では問題なくできていることが、いや、できていると思って
なおざりにしていたことが、実は周囲の見逃しや寛容さによって
成り立っていたことがわかってくる.
誰にということもなく、それを突きつけられていく.

それは円坐という場の持つひとつの側面であろうかと思います.

そこに怖さを感じる.
怖さを感じるけれども、たまらなくおもしろい.

出発前に東京円坐の二人から「生きて帰ってこいよ.笑」と
送り出されたのですが、生きて帰ってきはしましたが、
何度か精神的にぶっ倒れていた時間もありました.笑.

笑って送り出し、迎えてくれた2人がありがたいです.

さて、今号の東京円坐だよりでは、その2人からのメッセージも
お読みいただけます.よろしければ、下記イベントのご案内の
さらに下部もご覧ください.

東京円坐が本格的に始動してから丸1年が経ち、今年から2年目に入ります.
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます.

大島有一

※ 東京円坐だより第10号 (2016-01-13) より転載

<< 
 >>