エンカウンターグループ


エンカウンターグループという場をご存じでしょうか.



これは、ご縁があって集った人々が輪になって座り、時間を十分にとって心のおもむくままに語り、あるいは語らずに過ごしていく場です.




エンカウンターグループは、米国の臨床心理学者であるカール・ロジャーズを中心として、1960年代から70年代にかけて発展してきました.少しずつ色合いは違いますが、日本では「円坐」「非構成的エンカウンターグループ」「ベーシックエンカウンターグループ」といった名前でも知られています.「リンザバ」は「になって」に由来し、私たちが現代の日本でこのグループを行う際に、より身近で広く受け入れられるものとなるようにとの願いをこめて付けた造語です.



 

この場にはグループ全体としての目的やテーマはなく、ルールも特にありません.誰がいつ何を話すかも決まっておらず、進行役やリーダーのような存在もいません.ファシリテーター (促進者) と呼ばれる専門のスタッフが場に同行しますが、他の参加者に対して何かを指示するようなことはほとんどなく、見守り役のような立場で関わっていきます.

このように枠組みや制約がほとんどなく、ただ一緒にいて話をするだけの場というのは意外と少ないものです.もちろん話したくない場合は話さなくて構いませんし、適当に話を合わせながら話してもいいですし、合わせずに話しても構いません.ただ話を聞いているだけの方もいれば、ときには寝てしまわれる方もいます.日常のしがらみなく、いたいようにいて、話したいように話すことのできる場所と言えるかもしれません.

このような枠組みや制約がほとんどない場で、人は何を感じてどのように振る舞い、またどのようなことを体験するのでしょうか.


場の雰囲気を少し言葉を使って表現してみたいと思います.

実際に交わされる話は、例えば…

 

世間話だったり、仕事の話だったり、遊びや趣味の話だったり、日々の生活や人間関係についてだったりします.

今感じられていることをそのまま話す人もいます.「今感じていることを話せない」と話す人もいます.

過去の出来事、将来への思いや不安、何かについての違和感について語られたりもします.

自分の生き方に関わるようなことや、長く抱えている問題について話し始める人もいます.

各々が自分の中に潜っていくような沈黙が訪れることもあれば、場全体が何かの余韻に浸るような沈黙に包まれることもあります.

それらを聞き、またそうした雰囲気に浸る中で、何か思いが湧き上がってきた人がまた口を開き始める.



 
そんな感じで場は進んでいくことがあります.


参加者の中には自分と似た立場や境遇の人もいれば、まったく違う人生を歩み、まったく違う考え方を持った人もいるかもしれません.目の前の人と言葉や感情を交わし合うことを通して、自分を見つめ直したり新しい自分を発見するきっかけを得ることもあります.誰でも小さいころから日常で行っていることかもしれませんが、エンカウンターグループでは、そうした変化が時には密度濃く生まれるように思えます.

エンカウンター (encounter) という言葉は英語で「出会い」という意味を持っていますが、この場においてこれはただの出会いではなく、心から深く出会うということを意味しています.それは他者と出会うことでもあり、また目の前の他者を通して自分自身と新たに出会うことでもあります.

どのような方が参加してどのような場になるかはその時々のご縁です.心と心が響き合うような感覚を味わうこともあれば、楽しい雑談が中心になることもあるでしょうし、時には何かすっきりしない曖昧な感じを抱えて終わることもあるかもしれません.こうしたすべては人と人との関わり合いが持つ豊かな複雑さのひとつの現れであり、心に残る映画を観たり小説を読んだりした後のように、日常に戻った後もその体験はどこかで深まり続けていくことが多いように思えます.

 

エンカウンターグループ・リンザバはどのような方でもご参加いただけます.お時間とお気持ちが合えばいつでもいらしてください.