Lorem ipsum dolor sit amet, consectetur adipiscing elit. In bibendum, diam eget consectetur aliquam, velit erat dignissim sapien, mollis aliquam elit lectus id purus.
この人物は素晴らしいことを証明します.
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
« 11月 | ||||||
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
text
Lorem ipsum dolor sit amet, consectetur adipiscing elit. In bibendum, diam eget consectetur aliquam, velit erat dignissim sapien, mollis aliquam elit lectus id purus.
今年の最後は、同じく都心でエンカウンターグループを開催している立木ゆりさんと共同で場を開きます.昼下がりに3時間半のグループを行い、その後近くのお店で小さな忘年会を行う予定です.
朝晩だけでなく、昼間もだいぶ涼しくなってきましたね.手足の冷えで秋の訪れを実感している、冷え性の大島 (ボウズィ)です.
来月開かれる円坐(非構成的エンカウンターグループ)をご案内します.よろしければぜひご一緒ください.
以下に開催にあたっての言葉、場所などの詳細と続きます.
—
円坐という場は、誰が開くのだろうかと思う.
今回の円坐は自分がこのように開催の案内を出していて、当日になれば守人を務める.
主催をするという意味でも、当日に開始の宣言をするという意味でも、これを「自分が開く」、あるいは「守人が開く」と言っていいように思うけれど、それだけでは表現できないものも感じている.
それは特にスポーツを、中でもサッカーの試合を観ているときに感じることが多い.円坐をサッカーの試合のようなものとみなすと、その守人は「ジャッジをしない審判」のような側面があるのではないか、と感じることがその発端にある.
審判はどちらのチームにも肩入れせず、特定の選手を応援したり、評価したり、批判したりをしない.選手たちと共にフィールドに立ち、ただ目の前に起こったことをありのままに見つめる.必要を感じたときには選手や試合に働きかけ、試合を下支えしていく.
これは円坐の守人をこのように務めるのがよいという意味ではないこと、また円坐の場合、守人はただの審判ではなく選手の一人でもあることは添えておきたいと思う.
違う点はあれど、このように円坐をサッカーの試合のようなもの、その守人を審判のようなものととらえてみると、その場を開くのが守人かどうかが曖昧になっていく.
審判は試合開始の笛を吹くけれど、「審判が」その試合を、例えばワールドカップの決勝戦などをイメージしたときに、その試合を「開く」とは言いがたくなっていく.
「審判が試合を開く」のであれば、例えば開始の笛の音は「僕がこれから試合を開始します」という宣言になるけれど、実際そうでないのは明らかだ.もし審判が「この試合は自分が開いている」という意識で試合に臨んでいるのだとしたら、それはその試合に対する敬意を欠いた態度だと思うし、どこか試合を過剰にコントロールしようとするような動きにつながりかねないように思う.
このような意味で、サッカーの審判や円坐の守人は場を開くというよりも、その舞台でこれから起こっていくことを見届ける役回りを、ただ縁あって引き受けている存在に過ぎないのではないかと感じている.
一方で、そもそもワールドカップであれば、主催は審判ではなくFIFA(国際サッカー連盟)だけれど、たとえ主催であっても、これを「FIFAが開く」とは言い切れないような気がしている.
何と表現していいかはわからないが、世界に無数に存在するであろう、サッカーという競技を求める気持ち.世界で一番強い国を決める舞台と、その場で行われる真剣勝負をこの目にしたいと願う気持ち.それらの想念の集合体のようなもの.そうしたものが大きく関わって、あの場が開かれているような気がしている.
表現を変えれば、求める人がいるからこそFIFAが組織されてきたのだし、これまでの大会が重ねられてきたのだと思う.
あらためて、今回自分が参加を呼びかける円坐について、誰が開こうとしているのか、なぜ開かれようとしているのかは、よくわからなくなっている.自分の意思なのか、誰かの意思によってなのか、それらの複合的なものなのか.その誰かは人なのか、上で書いたような想念なのか、あるいはもっと大きな社会というシステムなのか.
ただ言えることは、自分は確かに何かに突き動かされてこの案内を書き、今回の円坐の開催と、その場を守る役回りを引き受けることへ向けて強く動機付けられている.そのことだけは間違いないように思う.
大島有一
※ 円坐については、この案内の最下部をご覧ください.
════ 開催の詳細 ════
■ 日時: 2016年10月16日(日)
・セッション1: 10:15 〜 12:15
・セッション2: 13:15 〜 15:15
・セッション3: 15:30 〜 17:30
・9:45より開場します
・終了時間は多少延びる可能性があります
■ 会場
・東京都千代田区九段南の和室
・地図はこちら: https://goo.gl/maps/1yke4esSNSD2
・市ヶ谷駅から徒歩15分程度、
九段下駅から徒歩13分程度、
半蔵門駅から徒歩13分程度です
・お申し込みいただいた後、詳細をお伝えします
■ 守人
・大島 有一 (ボウズィ)
■ 参加費
・3000円
・当日会場でお支払いください
■ 募集人数
・8名程度
■ その他
・温かいお茶やコーヒー、ハーブティなどのティーバッグを
ご用意しますが、お好みのものがあればお持ちください
■ お申し込み / お問い合わせ
・大島有一のFacebookメッセージか、
rinzaba.org@gmail.com 宛てにメールをお送りください.
■ 円坐とは
円坐とは、長年非構成的エンカウンターグループを実践されてきた橋本久仁彦さんが、これを日本人の存在観や時空観を基盤とした形に捉えなおしたものです.その橋本久仁彦さんの言葉をご紹介します.
「円になって坐った参加者(坐衆)と、ファシリテーター(円坐守人)と呼ばれる役割を担う人が一人います。思いのまま、気の向くままに自分自身を語り、あるいは語らず、グループの動き(振る舞い)は予測できない展開を見せます。ファシリテーターは終始参加者の言葉を傾聴し、一人の人間として物・事・人に向かい合います。 やがて場から「傾聴する」という力みが消え、人生の背景までも包み言祝ぐような、滋味あふれる相聞空間があらわれてきます。ある望ましい結果を目指すグループ構造を作りませんので、人工的ではない人間同士の出会いや、自分自身の予期せぬ「深み」への参入、場所や環境との未知の感応などが起こります」
■ エンカウンターグループについては、以下をご覧ください.
http://rinzaba.org/encounter_group/rinzaba/
この人物は素晴らしいことを証明します.
最近のコメント