例えば映画や小説の場合、面白いこともあればそうでないと感じることもあって、その読後感はさまざまだと思うけれど、自分の場合は円坐やエンカウンターグループに参加をしてつまらないと感じたことはこれまで一度もなかったように思う.
途中までつまらないと感じることはあっても、例えば多少ためらいながらも「退屈している」と口にしてみたりすると、それにまつわるしんどさのようなものが抜けて少し楽になったりする.同時にそう発言したことによって場への関わりが生まれ始め、結果として新たな展開が生じ、少なくともその前までよりは退屈しなくなっていく.
そういえば、かつて3時間程度の比較的短い場で、つまらないと感じたまま終わりを迎えたことがあったことを思い出す.だが、いつからつまらなくなっていったのだろうとか、自分がつまらないと感じるのは一体何なのだろうかと思い巡らしていくうちに様々なものが生まれ、自分にとって忘れがたい体験となっていった.そう考えると「つまらないと感じたことがない」は的確な表現ではないのかもしれない.
例えば毎日球場に足を運ぶような人は、面白い試合はもちろんあきれるほど退屈な試合でも、逆にあきれるほど退屈な試合だからこそ、何時間でもそれについて話し続けることができる場合がある.結局自分は、人と人や人と集団との関わりの中で起こること、それに伴って自分の中に起きることに惹きつけられるのだと思う.穏やかだろうと荒れていようと海を眺めていると飽きないように、そうしたことの中にいるとなかなか飽きることがない.
自分と円坐やエンカウンターグループとの関わりはそんなものなのかもしれないとも思う.