3月下旬、体調を崩して父が入院した.もともと気むずかしいところがある人で、見舞いに行っても何しに来やがったというような雰囲気だったけれど、こちらもそうした態度には慣れている.だが何度目かの見舞いのときは様子が違っていた.ベッドに自ら上半身を起こし、少し顔をうつむかせたままたたずんでいる.そのまま30分くらい言葉を交わさないでいたけれど、この場に居ようとする感じ、こちらに関わりを持とうとするような感じは伝わってきていた.
やがて少しずつ会話が流れ始める.「車にずっと乗ってないからな.エンジンかけといてくれや」とか、にやにやしながら「小遣いくれや」などと言われる.入院時にバタバタしていてずっと現金を持っていなかったそうで、財布から一万円札を出して渡す.
ほとんどは他愛もない話だったけれど、途中で「もうオレ長いことないんやな」と、さばさばした感じで口にしてもいた.別れ際には「また来たらええ」と.本当に何年ぶりか、久しぶりにゆったりとした時間を共に過ごして、どこか通じ合ったような気分に浸りながらその日は帰途についた.
それから6日後に見舞いに訪れた際には意思の疎通が難しくなっていた.さらに3日後には意識が戻らず、その日のうちに父は亡くなった.手つかずのまま残っていた一万円は窯の前で見送るときに柩の中に入れた.思えばこれが小遣いという形で父に渡した初めてのお金だった.
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6月19日(金)は立木ゆりさんと共に場を見守ります.お問い合わせやお申し込みはこちらまでお願いします.