二重構造


エンカウンターグループに繰り返し参加する人の中には、日常生活の中でのいわゆる本音と建前の使い分けに違和感を感じ続けている人が少なくないように思う.そうした人がグループに参加して本音ベースのやりとりに触れることである種の心地良さや癒されるような感じを抱くという声はよく聞くし、何より自分がそうだった.それが参加者同士の衝突であったとしてもだ.

ところが繰り返し参加をしてグループの中におなじみのメンバーができてくると、参加当初とは別の意味で口にしづらいことが増えてきて、居心地の悪さを感じることがあるという声もまたよく聞く.このことを、グループ内外に本音と建前の二重構造が生み出されていると捉えることができるかもしれない.

だとすれば、グループ内部に生じたこの構造を生み出しているものは何なのだろうか.自分なのか、自分以外の参加者なのか、ファシリテーターなのだろうか.それとも参加者同士やグループ全体の相互作用なのか、背景に存在する社会や文化なのか、あるいは人間集団の持つ普遍的な性質なのだろうか.

この問いに対する社会科学的な考察にも関心はあるけれども、それよりもむしろ、誰かが実際にこの本音と建前の二重構造の存在を感じたときに、その人の中にどのような心の動きが生じ、かつ前述のどの立場に立ってこの問題を扱い行動しようとするのか、自分にとってはこれが最も興味を惹かれる点だという気はしている.

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